投稿日:2008-01-20 Sun
おぼろげに聞こえる、節を付けて繰り返す言葉。その幾度目かに、正太の耳の中に誰かの吐息が入ってきた。
耳のすぐ近くで囁くから、今度こそはっきりと聞き取れる。
「白糸滝のおミツさん、朝を待たずにお亡くなりぃ〜…白糸滝のおミツさん、朝を……」
その言葉を耳にするなり、正太の頭には血が上って、
声を限りに叫ぶ。
「すいませーん…誰かーっ…誰かいませんかぁーっ…」
声には自然怒気がこもる。
自分がまだ子供であることも忘れ、
姿の見えない相手を、とっつかまえてぶん殴ってやろうという気になる。
草鞋を脱ぐのも忘れて式台の上に片足を載せると、
背中のちぃが身動いだ。
「んー…」
ちいは、いつのまにか本当に眠っていたのだ。
今度は振り落とさないよう気をつけても、
やはり正太が動くと、ちぃはむずがる。
正太は仕方なくちぃを背中からそっと降ろすと、
式台に寝かせてやった。
するとまた
「白糸滝のおミツさん、朝を待たずにお亡くなり〜…」
不気味に笑い、自分をからかう姿無き声に、正太は向きになってゆく。
「誰だっ、出てこい! 人をからかって何が楽しいんだっ」
「おいでよ、おいで……正太よ、おいで…」
相手が何故自分の事を知っているのかなどと、考える余裕もない。
声のする方へ正太は走り出す。
廊下の角を曲がり、そしてまた真っ直ぐゆく。
すると行き止まり、目前で松の大木の絵が描かれた襖が、
すうっと開いてゆく。
なかは闇。
屋内とは思えぬ冷気に、正太はぶるっと身震いをする。
それでも怯まず声を追いかけるが、
その勇気が命取りになる。
「正太、おいで」
不思議と怖くはない。温かな威厳のある声だ。
正太が一歩前へ出ると、一陣の風が俄に起こり、正太の身体は宙に浮く。
風にのり、舞って、舞い上がって、昇ってゆく。


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